”意識低い系”京大生が、人を変えたいと思うに至るまで。

2016/03/28

 

6年間の大学生活に終止符を打ち、社会人としての一歩目を踏み出すに当たっての振り返りとしてここに記します。
非常に個人的な話が多いですが、興味のある方はお付き合いください。




京都大学入学

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2010年4月、私は京都大学工学部電気電子工学科に入学しました。

電気電子に特別興味があったわけではなく、高校で理系科目を選択していた、かつ京大に入りたかった、という理由です。

つまり、京都大学入学は私にとってのゴールであり、スタートではありませんでした。

今までずっとやってきたテニスを続けたい、だが部活をやるほど時間を投資できなさそう(忙しい学科のため)という理由で、入学早々にテニスサークルの新歓を渡り歩きました。

 

こうして私は、とても”大学生らしい”大学生活をスタートさせました。

 

サークルで遊び、飲食店でアルバイトをし、何の役に立つのかイメージしづらい授業で単位を稼ぎました。

毎週地下の実験室に朝から夕方まで閉じ込められ、そして毎週レポートまで課せられるのに2単位しかもらえない、という実習もちゃんとこなしました。

 

何かを頑張ったという実感は特にないですが、非常に楽しい日々でした。

 

旅に出る

しばらくして、そんなありきたりな生活に変化がもたらされました。

 

そうです、海外にひとり旅に出たことです。

いろんなきっかけが重なりヨーロッパ行きのチケットを買うに至りましたが、そこでは知らない世界がたくさん待っていました。

そして、自分の英語力の無さを痛感し、同時に、意外と生きていけるという謎の自信を得ました。

 

1回目の就職活動

複数回のひとり旅やアメリカでの短期留学を経て、気づけば私は3年生になっていました。

 

電気電子工学科は大学院への進学率が9割ぐらいなので、たぶん自分も大学院に進学するんだろうなぁと思っていましたが、ふとしたきっかけから海外を飛び回るイメージの強いあの人気業界に興味を持ち始め、就職活動をしてみることにしました。

調べれば調べるほど、海外で働ける、給料がたくさんもらえる、なんかカッコイイなど、良いことばかりな気がしてきました。

もし落ちても進学すればいいか・・・というノリで、私は就職活動をしました。

 

結果、ぜんぶ落ちました。

就活仲間が一切おらず情弱すぎたこと、適切な対策が取れていなかったこと、そもそも面接で喋れるようなエピソードは何もなかったことなどが相まって、ぜんぶ落ちました。

 

これは、衝撃でした。

ずっと公立でしたがそこそこの進学校に通い、一浪したとは言え京都大学に入学したのに、社会との接点に立った瞬間、「お前は必要ない」というジャッジを下されたわけです。

 

何かを変えないといけない。

私はそう思いました。

 

ふたたび、旅に出る

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この時点で大学院進学を決めたのですが、ここから私の大学生活は急激に加速していきました。

 

まず、「働き始めたらできない経験をしたい」という思いから、どうしても南アメリカを2ヶ月ほど旅したいと思い始めました。細かい理由は割愛しますが。

そして研究室に配属されて間もなく、「2ヶ月間の休みが欲しい」と、教授にお願いしに行きました。ほぼ初対面で、研究テーマも決めていない時に、です。

卒論は提出ギリギリまで追い込まれるというのが私の研究室では通例だったため、どう考えても頭おかしいやつです。

 

しかし結果的に、多くの方々の支えのもと卒業論文を早めに終わらせ、12月と1月は南米で過ごすことができました。

ついでに、旅に必要なスペイン語を学習し、話すようになりました。

 

外の世界を知る

次に私を待っていたのは、ある企業のサマーインターンシップでした。

いままで大学内で閉じこもっていた私は、そこで外の世界を知りました。

大学生としての活動の選択肢として、学生団体というものが存在することを初めて知りました。

彼らの存在が、私をさらに加速させました。




留学し、気づく

M1の冬~M2の春にかけて、アメリカの大学に交換留学することになりました。

教授が本当に理解のある方で、理系院生なのに5ヶ月ほど研究をストップすることができました。

 

アメリカで私は、少しでも多くの経験を積もうと、がむしゃらに動き続けました。

そして、少しでも自分の経験を人に伝えることができないか?と思い、Webメディアで記事の執筆を始めました。

嬉しいことに、私の書いた記事に対して、多くの反響が寄せられました。

キュレーションサイトで数え切れないほどのコメントを頂いただけでなく、初めて会う人にも「記事読んだよ」と言ってもらえることがありました。

「金川さんの記事を読んで私もライターを始めました」という、明らかに身にあまる言葉を頂くこともありました。

 

私は気付きました。

自分が動くことで、発信することで、もしかしたら人に何か影響を与えられるかもしれない。
 

2回目の就職活動

就職活動において、今度は海外という軸は考えませんでした。

その代わり、”人の挑戦のきっかけを創る”ことがやりたいという想いを大事にしました。

 

結果、幸いなことに、ここで働きたいと心の底から思える企業から内定をもらうことができました。

そして就職活動が終わってからも、就活支援団体の運営メンバーとして働いたり、留学支援団体をやってみたり、高校生のキャリア教育団体をやってみたりと、芽生えた想いはさらに強くなってきました。

特に就活支援団体エンカレッジでの経験、そこで出会った人たちの存在は、私にとってかけがえのないものになりました。

 

そして今

4月からは、Rから始まる人材系の会社で働きます。

25年間住んだ関西を離れ、東京で働きます。

 

6年前、大学入学時には自分がここまで変わると思っていなかったですが、実際に大きく大きく変わりました。

 

思い返せば、遠回りしたようで、一つひとつの経験が今の私を形成していると、自信を持って言えます。

浪人したことも、学部の就職活動で躓いたことも、全てが今の自分の力になっていると、自信を持って言えます。

 

だから、私は今が一番楽しいし、これからもそう言い続けられるように生きていきたい。

そしてこれからは、過去の自分のように目的意識もなく楽しい”だけ”の日々を送っている人に、少しでも火を灯せるような存在でありたいと思う。

 

最後になりましたが、今までお世話になった皆様、本当にありがとうございました。

そして、まだまだ未熟な私ですが、これからも全力で駆け抜け続けるので、どうぞよろしくお願い致します!